ball-feeling

リフティング、壁打ち……。一人でボールを蹴り続けるその先にあるもの

OSO SFL代表
隈崎大樹

子どもの時は暇さえあればボールを蹴っていた。

学校に行く前とか、部活が終わった後、家の前のアスファルトで一人黙々と。雪が降って道路に氷が張った時は、鶴嘴で円形に割ってそこからボールが出ないように突き続けた。

学校の部活で過ごし、監督は先生。振り返れば専門の指導者がいなかったので、一生懸命走ってたくさんボールを蹴っていた。もしも、色々と経験した今の自分が当時に戻ることができれば、部のトレーニングでもっと考えてたプレーをしていただろうと思っている(多分、他の人もそう思うだろう)。

ただ、一人でボールを蹴る時間は、今も昔も一貫して「特別ではないけど大切なもの」だと思っている。特にリフティングはよくやっていて、今でもちょっとした時間に触っている。

そんなリフティングが、まるで矢面に立たされているような話題が出ているではないか。

「チームでリフティングが必要か?」

「リフティングの回数=プレーのうまさ?」

当初はリフティングについてこんな風に思っているのは、ほんの一握りだと思っていた。だが、周りでも結構話題に出ていたので、このリフティングについて、選手目線(箇所によっては他の目線で)纏めてみようと思う。

チームでリフティングを取り入れることに是非はなし

結論から言うと「どちらでもいい」。ウォーミングアップやちょっとしたトレーニングセッションの間や中に入れることは、どこのチームでもやっている。「リフティングは試合のなかで行わない。だから必要ない」と、白黒つけてバサッと区切る必要はない。

注意としてリフティングは、ボールフィーリングであってプレーではないので、これをトレーニングの主にはできない。1.5時間のアクティブタイムがあったとすれば、リフティングの時間は数パーセントにならないと不自然。※フットボールをはじめたばかり選手に対して、リフティングの要素を入れた様々なセッションは別。

なので、リフティングは特別なものではなく、他のボールフィーリングと変わらず適材適所で取り入れればいいだけのことだ。

セレクションやトレーニングの宿題としてリフティングを設けているクラブについて

クラブのセレクションやトレーニングの宿題としてリフティングを設けているところがある。これについては色々な立場の人が異なる思いを持っているはずなので、伝える対象を明確にせずに結論を出すのはできない。各々プラスに捉えるための考え方を纏めた。

[クラブ]

セレクションというからには判断材料が必要なため、明確に数字で出るリフティングは利便性が高い。また、トレーニングの宿題としても選手の成長を数字で表すことができるので説得力がある。

という内情を踏まえつつ、フットボールクラブである以上、選手のプレーを評価することが本筋なので、リフティングが評価材料の主になってはいけない。選手のプレーこそ、評価するためのシンプルで最も大切な材料であることを忘れてはならない。

[選手]

セレクション選考にリフティングがある場合、頑張るしかない。どうしてもそのクラブに入りたいなら、やるしかない。学校の受験と同じで、受ける側が受験科目を変更するのができないのと同じだからだ。

ただし、リフティングがうまくいかなかったら、自分は下手だと卑下するのはやめよう。リフティングがフットボールの全てではないし、これからもっとうまくなることを信じてトレーニングに励むほうが、よほど自分のためになる。

一方、所属するチームで、リフティングが宿題でそれができないとトレーニングに参加できないといった場合、それに疑問を感じたら保護者に相談しよう、絶対に。理由は単純でフットボールが楽しくなくなるから。プレーをすることが選手のやることだ。移籍には障壁が出てくるかもしれないが一時のものだと思って、環境が良いところに移ろう。

[保護者]

セレクションについては選手と同じマインドで、応援してあげよう。

トレーニングについて、保護者がチームに意見を言うか否かは、クラブ・チームの規模感によるだろう。コーチ陣がしっかり運営しているクラブであれば、クラブの理念や指導体制が既存である場合が多い。保護者が介入する余地は殆どないと思うので、その場合は子どもの様子や意見を尊重してあげよう。子どもが楽しくプレーできているか、抱えている問題が子どもの努力でクリアになるのか否か……。

保護者コーチやスタッフで運営をしているチームでは、風通しがよければ話し合いの場を設けるもの手だ。ただ、よくあるのがアジェンダを立てず「立ち話」レベルで話を進めた結果、喧々囂々な場となってしまったパターン。大なり小なり話の焦点がずれない工夫はしていきたい。

リフティングの回数はやっていれば勝手に増えるし、選手自身がこだわっていい

ここからは個人でボールを触ることについて。

一人でボールを蹴ることに、当たり前だけどやり方とかルールなんて存在しない。時間が許すまで100回でも1000回でも蹴っていればいい。

もちろん回数にこだわってもいい。単純に「楽しいから」でいいんだ。好きだったら無意識でボールを蹴るようになるし、回数だって自然にできてくる。この流れを続けていけば徐々に自分のこだわりが出てくる。こだわりがコツになればいずれ特徴になる。

故・マラドーナが脇目も振らずリフティングしている姿は、ボールを蹴るのがこれほどにも楽しいのだと教えてくれる。

ボールと体の調和。求めている感覚、新しい感覚に出会うのが楽しい

ボールを蹴っていると、体の使い方に対してボールがどう変化するのかがわかってくる。そこからさらに精度を上げて、蹴りたいボールを求めていく。これがたまらず楽しい。

傍から蹴っている人を見ると、ただ同じ動作を繰り返しているように見えるが、当の本人は刺激をこれでもかと受けている。しかも、イレギュラーなボールを触った時に「新しい感覚」に出会うとかなり嬉しい。もしくは体全体で衝撃を受ける。「こんな蹴り方あったんだ!」なんて。

第一線で活躍しているプロフェッショナルは、きっとこんな体験は無数に積み上げて来たんだろう。器用・不器用はあるけど、とにかく小さい選手であればあるほどたくさんボールを蹴ってほしい。

コーディネーションとかライフキネティックなど、脳と運動の連動がフットボールに大切だと言われてるなか、リフティングはボールとの調和をはかる王道のトレーニングだ。

環境に負けずにボールに触れる楽しさを続けてほしい

リフティングとか壁打は、好きなだけやってほしいと言ったけど、人口が多い街だと難しい……。筆者の故郷である北海道函館は、市内でも大通りを除けば住宅地は人も車も少ないから道路でボールを蹴れたけど、今住んでいる東京だとかなり厳しい。人も多いから「他人の目」も気になる。公園も「野球やサッカーなどの危険な遊びは禁止」なんて書かれているところが多い(一概に「危険」と形容するのに違和感があるが)。

でも、しかしだ。

安全面を考慮すると安易に言い放てないけど、それでもできそうなところを見つけて蹴ってほしい、というのが本音。

都心に住む選手は、本来やる必要のない「環境探し」をしなきゃいけない。それでもボールと対峙する時間は作って欲しいと願うばかりだ。