南米に渡った時に感じた、日常に溶け込むフットボール。
国民の老若男女がフットボールのファンで、誰もが好きなクラブをもっている。子どもたちは選手になりたくて、いつも意気盛んにボールを追っていた。
滞在中に最も感服したのは、国民がフットボールを憧れや興味の枠を超えた、かけがえのない存在と捉えていること。国民は選手に対してリスペクトしているし、選手もまた、その思いに答えようとしている。
だから、プロフェッショナルだけが選手ではない。たとえ、フィーをもらっていなくても、仕事をしながらのセミプロでも、はたまた週末に集まる草サッカーでも、みんな口を揃えて「私はフットボーラーだ」と胸を張って応える。南米でフットボールが、文化として根付いた理由の一つだと確信している。
日本では、フットボールに関わるすべての人が「フットボールがあるから、人生が豊かになる」ことを、社会に発信していくことで、より文化的になるはずだ。
残念なことに、プレーをするのは部活までとか、食べていくのが辛いからなど、何らかの理由でフットボールから離れてしまう人がいる。
しかし、フットボールを社会を豊かにする手段として捉えれば、その人自身の可能性を広げることができる。そして可能性に挑戦し続けることで、社会に還元したり、経済の活性につながる。
たとえピッチに立つ機会がなくなったとしても、生涯フットボーラーであることを誇りにしてほしい。
SFL(Sustainable Football Life)は、生涯にわたりフットボールと関係を持ちながら、その価値向上や経済貢献に対して活動を行う。
そして、この理念が広がり、フットボールが日本の文化になることを目指して。