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選手にフットボールを伝える、それは考え学び続けることだ

3月、スペインへ行ってきた。日本各地で出会った選手たちと、スペインの名だたるクラブと国際親善試合をするための遠征だ。

今年で3回目だが、今回もたくさんの学びを肌で感じることができ、なにより、日本の選手たちの成長ぶりは目を見張るものがあった。

「人の成長は環境で変わる」。再認識した。

帰国後、ある保護者との会話で「今までのフットボールは『フットボールみたいなもの』だとわかりました」と、私にこぼす。半分納得、半分違うと自分のフィルターを通して咀嚼した。

「フットボールとは」を考え学び続ける

フットボールのトレンドは欧州であることは間違いないが、それがすべての正解ではない。
つまり、欧州のフットボールを日本に全て輸入すればよい、思想をすべてそれに変換すればよい、ということにはならならい。

ただし、どのような国、地域、環境や競技レベルであろうと、選手にフットボールを伝える時間を設けている空間があるならば、そこで伝える立場となる人はフットボールを考え学び続ける必要がある。その理由は明白で、選手、特に子どもたちはフットボールに大きな楽しさと魅力を感じているからだ。Jリーグであろうと、欧州リーグであろうと関係ない。ピッチ上で表現される機能的とも芸術的とも比喩できる創造性あふれるプレーを、子どもたちは未来の自己に投影している。

では、そういった選手たちに伝える側の人間はどうしなければならないか。
一にも二にも、フットボールを考え学び続けなければならない。
フットボールという存在の定義からはじまり、ルール、技術、戦術、生理学、心理学……。頭にいれたいことはたくさんある。
これは、「私たちは(競技レベルが低い、少人数の)少年団(という地域にある小さな存在)だから関係ない」ではなく、伝える側に立つ世界中の人が対象だ。それをしないというならば、割り切ってクラブを組織せずに公園遊びにしてしまった方が健全だ。

何も皆がトップの環境を目指す必要もないし、大きなリスクを背負って茨の道を行けということではない。
自分の知見を紙に書いて整理したり、メディアを利用してインプットしたのを指導現場でアウトプットしたりするのでもいい。他人と比較せず、継続してフットボールを探求して現場に落とす作業が大切だと伝えたい。

フットボールみたいなもの。
これには二つの意味があると解釈する。
一つはフットボールになるための学ぶ姿勢、環境づくりが不足していること。

そしてもう一つが、その地域の特色を持ったクラブのオリジナルフットボールが作り出せる余地があること。

一歩でもフットボールに歩み寄り、一秒でもフットボールを考える。

そんな些細なことと馬鹿にされる微力こそ、積み上げることで揺るぎのない強さになると信じて。